井川監督の弔辞

告別式に井川監督が読まれた弔辞を掲載します

 

弔辞

関商工ラグビー部を代表して、山口先生の御霊前に謹んでお別れのご挨拶を申し上げます。

山口先生、 永きに渡り、私たちのために、そしてラグビー界のために、ご指導ご尽力を賜りまして、本当にありがとうございました。岐阜に教師として赴任されて半世紀、まさにラグビー一筋の人生を送られ、数々の功績をあげられました。

先生は、関商工ラグビー部を花園常連校に育て上げられました。高校生という多感な時代に、その卓越した指導力、熱意で、ラグビーを通して、人生をたくましく、明るく、前向きに生きていく姿勢を教えていただき、多くの卒業生がその教えを胸に、今も活躍しています。

同級生でご活躍された京都の山口良治先生、愛知の山田耕二先生と交流される様子は、私たちのあこがれであり、伏見工業高校、西陵高校と試合をさせていただいたことは私たちの誇りでもありました。

教育のみならず、関グリーンフィールド中池のグラウンドをはじめとした環境整備にも心血を注がれ、ラグビーの普及、発展に努められました。

先見の明を持っておられた先生は、早くから関市内にラグビースクールを立ち上げるなど、関市をラグビーの町にされました。開拓された数河高原・ひるがの高原は、多くのチームが合宿地として訪れています。ニュージーランド、オーストラリアへの海外遠征も実施されました。その行動力、決断力は真似できることではありません。

先生の周りには、いつも多くの人が集まりました。その幅広い知識と話しぶりは、人を引き付け、場を和やかにしました。先生の人間的な魅力でどれだけ多くの人が心を豊かにしていただいたことかわかりません。

忘れられない高校時代のエピソードがあります。ある日、練習中、いらだちを抑えきれなくなった部員が、仲間を蹴りました。それを見た先生は、今まで見たこともない形相で、蹴った部員の頬を張り飛ばしました。プレーでミスをしても決して手を上げない先生が見せられたその姿に、正義感を持て、弱い者を慈しめと教えられました。

今振り返ると、闘病生活でさえも、メッセージを送っていただいていたのだと思います。この数年間、ご容体がおもわしくないことが何度もありました。そんなときでも、持ち前の精神力で、粘り強く回復されました。ラグビー部の成績が良いときは、それが顕著で、指導者として、チームに対してこれくらい情熱を傾けろと私に言われているような気がしてなりませんでした。

ご家族の皆様方にも、本当にご迷惑をおかけしました。ラグビーに携わっていただいた時間が多かった裏側で、たいへんご不憫な思いをされたことだと思います。ご家族のご理解とご協力無くして、今の関商工ラグビー部はありません。奥様におかれましては、子育てなどで最もお忙しいときに、ご子息の皆様方におかれましては、父親の優しさが最も必要なときに、先生を独り占めしてしまい、大変申し訳ございませんでした。

第二の人生を、共にこれからというときに、本当に申し訳ございません。

 

先生には、感謝のしようがありません。

先生、また、あのプレーはこうしたほうがいいぞってアドバイスをください。冗談を言って笑わせてください。しっかりやらないかって叱ってください。私たちを高校時代のように熱い気持ちにさせてください。お前たちよくやったぞってほめてください。

もうそれが叶わないかと思うと、無念でなりません。

 

山口先生は、本当に人情味あふれる優しい先生でした。私たちはよき師に出会えて、幸せでした。山口先生の教え子で本当に良かったです。

 

これからは直接の恩返しはできませんが、私達、教え子一同、頑張って恩返しをさせていただきます。先生には、たくさんの「種」をまいて、育てていただきました。これから私たちがさらに大きく,丈夫に育てていきます。先生が築き上げた関商工ラグビー部をもっともっと強くしていきます。

 

どうか先生、今までずっと走り続けて来られたぶん、ゆっくりお休みください。

そして、いつまでも私たちを見守ってください。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

平成二十七年 四月二十一日

関商工ラグビー部 監督 井川 茂雄

 

尾関孝(S59卒)

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